ブラタモリ

NHKブラタモリ「熊本城復興SP▼78分拡大版・10年ぶりに熊本城へ、新発見も」

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熊本地震の直前に訪れてから10年――タモリが、再び熊本城へ。10年前、番組で行った場所は今はどうなっているのか?膨大な石垣の積み直しや発掘調査の中で、次々と明らかになった新発見とは?先人の知恵と工夫を受け継ぎながら、復興の現場で奮闘する人々の思い、最前線から見えてきた熊本城の現在に迫ります。さらに被災前の熊本城の姿を記録した、10年前の貴重な番組映像もたっぷりお届け!78分の拡大版です。

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10年ぶりに熊本城を訪れ、復興の現在と新発見に迫った回です。

タモリさんが10年前に訪れた直後に地震があり、被災した城の復旧工事が鋭意進められ、5年後にはシンボルである天守が復旧完了したそうです。

しかしそれでも現在、全体の復旧計画の2割程度の進捗で、完全復旧予定は2052年だそうで、とても時間がかかるものでした。

復旧を進めていく中で、新たな発見が幾つかあり、熊本城の真の姿がいろいろと分かってきたということでした。

その一つが、熊本城を築いた加藤清正がつくった「武者返しの石垣」で、ゆるやかな勾配から徐々に急な勾配とした石垣で、敵が登れないようにした防御のための構造ですが、10年前の大地震でも崩れず、地震にも強い構造だということが分かったそうです。

そのほかにも、清正によって計画的に整備されていることが見えてきて、よく考えられてつくられているお城だと感じました。
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NHKブラタモリ「映画の街・成城▼なぜ成城は“日本のハリウッド”になった?」

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今回の旅は、東京・成城にある映画スタジオからスタート!黒澤明監督の名作や「ゴジラ」など、世界的に知られる映画は、なぜこの街で生まれたのか?タモリが巨大な映画スタジオを歩き、映画づくりを支える意外な工夫や秘密を発見!さらに住宅街を歩けば、ハリウッドやビバリーヒルズの街と通じる共通点が次々と見えてくる!?成城が“日本のハリウッド”といえる秘密に迫ります!久しぶりのゴジラとの再会にタモリが大はしゃぎ!?

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東京・世田谷区の成城を訪れ、旅のお題「なぜ成城は“日本のハリウッド”になった?」を解き明かした回です。

成城には、日本最大規模という東宝の映画スタジオがあり、ここで「七人の侍」や「ゴジラ」など名作をはじめ、多くの映画が生み出されてきたそうです。

なぜ成城に映画スタジオがつくられたのか?
敷地は谷の地形の底の部分で、川の底なので石が多くてお米がつくりづらい土地だったため、使い勝手の悪い広い土地が残り、そこに巨大スタジオをつくることになったということです。

スタジオの近くには山や川など自然豊かな場所があって時代劇を撮影できたり、また成城学園があって青春映画を撮影できたり、成城はさまざまな映画が撮れる撮影がしやすい環境だということです。

こうした条件は本場のハリウッドと共通しているということで解説があり、成城が“日本のハリウッド”という意味がよく分かりました。
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NHKブラタモリ「東京・成城▼憧れの住宅街はどうできた?意外な始まりに迫る!」

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旅の舞台は東京・成城。都内屈指の高級住宅街として知られる成城は、実は学校と保護者がイチからつくり上げた街だった!?成城学園に残る1枚の「領収書」からわかる「保護者パワー」とは?街づくりの手掛かりを探して向かったのは広大な校庭。湿地帯のような土地を校庭にするための努力の跡を、住宅街でタモリが発見!雑木林だった土地に突如誕生した最先端の街は、憧れそのもの。子どものためを思う理想が生んだ街の秘密に迫る!

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東京・世田谷区の成城を訪れ、旅のお題「憧れの住宅街 成城はどうできた?」を解き明かした回です。

駅名にもなっている成城学園に行くと、理由が分かるということで、訪れて解き明かしましたが、学園が街の成り立ちと深く関係していました。

この一帯はもともと何もない雑木林の土地だったそうです。

そこに土地を買って切り拓き、約100年前の大正14年に、成城学園ができたそうです。

土地の購入を進めたのが成城学園の「地所部」という組織で、生徒の保護者たちが土地の売買をする組織だったそうです。今でいうPTAのような人たちが、デベロッパーのようなことをしていたということで驚きでした。

地所部は、学校だけでなく住宅地とする土地も確保し、そこに先生や生徒たちが住む住宅もつくる計画とし、新しい教育を目指して、学校と保護者が一から街をつくったということです。

その後、電車が通ったとき、駅を誘致したのも地所部だそうで、恐るべき「保護者パワー」でした。

住宅地にはモダンな洋館の住宅が建てられ、西洋風の街並みが当時は斬新だったそうで、憧れの住宅街になっていった理由がよく分かりました。
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NHKブラタモリ「国宝犬山城▼天下人が愛した城の秘密?タモリ、国宝五城制覇へ!」

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今回の舞台は愛知県の国宝犬山城。天守が国宝指定された五つの城、いわゆる「国宝五城」の一つとしても有名です。そんな犬山城を信長、秀吉、家康、3人の天下人が、なぜ重要視したのか?現存最古の天守からの絶景で理由がわかる?さらに城が建っている山の地質にもヒントが?400年の時を超えて、今も愛され続けている犬山城の秘密に迫ります。番組では11年間で国宝の五城すべてを訪問…ついに国宝五城制覇です!

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愛知県の犬山城を訪れ、旅のお題「天下人が愛した国宝・犬山城 その秘密とは?」を解き明かした回です。

犬山城は、国宝五城の一つで、現存最古の天守。
信長の叔父・織田信康が築城したとされ、その後、尾張を統一した信長の支配下になり、秀吉が天下統一すると秀吉の支配下になり、関ヶ原の戦いで家康の支配下に。天下人3人が関わる城は、犬山城だけだそうです。

3人は、なぜ犬山城を重要視したのか?
信長は、木曽川を挟んで尾張と美濃の国境に犬山城が立地し、美濃攻めの最前線だったこと。
秀吉は、木曽の山の木材に目を付け、木曽川沿いに立つ犬山城が、木材の運搬の管理に適していたこと。
家康は、おひざ元の名古屋城が、犬山城の南に位置して地理的につながること。

3者が天下統一を目指すためや政権を維持するためなど、それぞれの理由で、犬山城を重要視していて、特別な城だったことがよく分かりました。
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NHKブラタモリ「皇居東御苑▼皇居のおかげで江戸城は守られた!?その秘密に迫る」

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皇居東御苑に残る、江戸城の天守台や本丸跡・二の丸跡を歩き、“皇居ができたことで江戸城は守られた”という不思議な関係に迫ります!天守台が今も残る理由には、明治以降の意外な使われ方が関係していた!?東御苑で江戸城の姿を感じられる鍵は、昭和43年の「皇居東御苑の一般公開」ってどういうこと?さらなる秘密を探りに向かったのはGHQ本部があったビルに残るマッカーサーの執務室。タモリが激動の時代に思いをはせる!

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皇居・東御苑を訪れ、旅のお題「皇居のおかげで江戸城は守られた!?」を解き明かした回です。

東御苑は、かつて江戸城の本丸・二の丸・三の丸があった場所で、江戸城の中心部だったということです。

今は、江戸城の天守台や家康時代の石垣が残り、美しい日本庭園が復元されたりして、昭和43年から一般公開されているそうです。

皇居の御所は、本来は、江戸城の中心だった東御苑にあるべきですが、
明治天皇が移り住むとき、幕末の火災で本丸御殿が全焼して失われていたため、別の場所になったということです。

そのおかげで、天守台などの江戸城の遺構が守られ、東御苑の一般公開を機に、石垣が修復されたり、庭園が復元されたりしたそうで、お題の意味するところがよく分かりました。
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NHKブラタモリ「皇居・江戸城本丸跡▼徳川幕府が築いた天下泰平の秘密に迫る!」

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ブラタモリがついに皇居へ!タモリが大名になった気分で、江戸城の記憶が残る道のりを歩き、本丸跡を目指します。かつての江戸城の正門・大手門をスタートし、城の中枢に向かうわずか500mの道のりに、徳川幕府・260年以上の平和を支えた秘密があった!?さらに広大な芝生広場になった江戸城本丸御殿跡や天守台にも手がかりが!皇居に残された江戸城の痕跡から、徳川幕府が築いた“天下泰平”の秘密を解き明かします。

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皇居を訪れ、江戸城本丸にあった天下泰平の秘密を探った回です。

江戸にいた大名たちは、月に3回程度、本丸に登城する必要があったそうです。

タモリさんらも、大名の気分になって、実際の登城のルートをたどってみました。

すると、本丸に向かうまで、いくつもの門と見張りによるチェックシステムあり、段々とお伴の人数は減らされて、将軍に面会する時は殿様一人だけというルールになっていていて、これらには、大名たちに反抗する気力を失わせる徳川幕府の狙いがあったということです。

本丸御殿の大広間で将軍に面会したそうですが、畳が座席表になっていて座る位置で格付けされ、また将軍を直接見てはいけないなど礼儀作法があり、こうした厳しいルールによって徳川の権威を示したということです。

巨大な本丸御殿の中でも大きな面積を占めていた「大奥」も、将軍の世継ぎを代々つないでいくという重要な役割を果たし、天下泰平に寄与したそうで、非常によく考えられて本丸がつくられていることを知りました。
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​NHKブラタモリ「桶狭間の戦い・信長の逆襲▼戦国史上最大の逆転劇!いよいよ完結」

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なぜ織田信長は“桶狭間の戦い”に勝てたのか?今回は戦国史上最大の逆転劇に迫る完結編!今川軍約2万5千に対し、織田軍はわずか3千。絶体絶命の信長がはいかにして奇跡の勝利を手にしたのか?今川義元を討ち取るまでの進軍ルートを探る!なぜ敵から丸見えの危険地帯へ?信長が家臣に明かした真の狙いとは?敵に気づかれないよう最速で進軍できる秘密のルートを発見!突然の豪雨に今川軍は混乱…すべては信長の策略だった!?

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旅のお題「なぜ織田信長は桶狭間の戦いに勝てたのか?」を解き明かした回の後編です。

前回、「駆けつけた信長は、なぜか低地にある中島砦に移動した」というところで終わりました。

今回、その謎を探っていくと、中島砦の周辺には道が集まっていて、交通の要衝だということが分かりました。

じつは信長は「今川義元が大高城に向かっている」という情報を事前に得て、今川義元本隊に近づくため、この砦に移動したと考えられるそうです。

そして、「義元は、おけはざま山で休憩している」という新たな情報から、大将の義元の首ひとつにかけて奇襲を試み、突然の激しい雨とひょうも味方して、義元を討ち取ったということです。

兵の数で勝る今川軍は、織田軍を圧倒していた状況だったことで、宴会をして気が緩んでいたことも敗因の要因とされるそうです。

専門家の話では、信長はわざと劣勢になって、相手を油断させる戦略だった可能性も考えられるそうで、わざと負けるのも策略だったとしたらと考えると、信長の怖さを感じました。
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​NHKブラタモリ「桶狭間の戦い・信長の危機▼戦国史上最大の逆転劇!その謎に迫る」

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若き日の織田信長が一躍全国に名をとどろかせた「桶狭間の戦い」。今川軍約2万5千に対し、織田軍はたったの3千。逆境の中、信長はいかにして奇跡の勝利をつかみ取ったのか?今回は住宅街に残るわずかな痕跡をたどりながら戦国史上最大の逆転劇に迫る!今川義元の尾張侵攻に対し、絶体絶命の信長がとった意外な行動とは…。なんと戦いの舞台はタモリが少年時代に姉と旅した思い出の場所だった?よみがえる記憶にタモリ大興奮

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名古屋を訪れ、「桶狭間の戦い」で信長が逆転勝利した謎を解き明かした回です。

桶狭間の戦い当時の信長は、まだ駆け出しのルーキーで、兵の数は約3000。対する今川義元は、トップレベルの実力者で、兵は約2万5000。

その逆境で信長が勝利し、戦国最大の逆転劇と言えるそうで、信長がどのようにして勝利したかを解き明かしました。

まず、戦いはなぜ起きたか?
桶狭間の戦いの1年前、大高城と鳴海城の2つの城を今川に奪われた信長は、その城のそばに砦を幾つか築いて防衛線を張り、この状態で1年間にらみ合いが続いたそうです。

そして、今川が桶狭間の戦いの口火を切るのですが、わずか1日で決着したそうです。

戦いの日、両者がどのような行動を取ったか、現地を訪れながらたどって、興味深かったです。

戦いの際、駆け付けた信長は、危険そうな低地の「中島砦」に移るそうです。この砦が逆転のポイントだということですが、今回はここで終了。次回の続きも面白そうです。
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NHKブラタモリ「東京・赤羽▼都内で大人気!せんべろの町・赤羽はどうできた?」

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新宿まで電車で15分!都心へのアクセスも抜群の赤羽は、“千円でベロベロに酔える”=“せんべろ”の町としても大人気!そんな赤羽の町はどう発展したのか、その秘密に迫ります。

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東京・赤羽を訪れ、旅のお題「せんべろの町・赤羽はどうできた?」を解き明かした回です。

赤羽駅の東側には居酒屋が密集し、リーズナブルにお酒が楽しめる町として人気で、どのようにしてにぎわう町になったのか、町の発展をたどりました。

西側は台地、東側は低地という地形で、この境に明治18年に品川と赤羽を結ぶ鉄道が通り、赤羽駅ができたことで、町が大きく発展していったそうです。

戦後、西側には軍の施設跡に巨大な団地ができて、人が増えていったそうです。そして東側は、空襲で大きな被害を受けますが、その跡に闇市ができ、そこから復興を願って商店街が生まれ、居酒屋が増えていったそうで、いろいろな出来事が重なって今のにぎわいにつながったことがよく分かりました。
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