ブラタモリ

NHKブラタモリ「国宝犬山城▼天下人が愛した城の秘密?タモリ、国宝五城制覇へ!」

- 映画・テレビ鑑賞
番組HPより)
今回の舞台は愛知県の国宝犬山城。天守が国宝指定された五つの城、いわゆる「国宝五城」の一つとしても有名です。そんな犬山城を信長、秀吉、家康、3人の天下人が、なぜ重要視したのか?現存最古の天守からの絶景で理由がわかる?さらに城が建っている山の地質にもヒントが?400年の時を超えて、今も愛され続けている犬山城の秘密に迫ります。番組では11年間で国宝の五城すべてを訪問…ついに国宝五城制覇です!

---
愛知県の犬山城を訪れ、旅のお題「天下人が愛した国宝・犬山城 その秘密とは?」を解き明かした回です。

犬山城は、国宝五城の一つで、現存最古の天守。
信長の叔父・織田信康が築城したとされ、その後、尾張を統一した信長の支配下になり、秀吉が天下統一すると秀吉の支配下になり、関ヶ原の戦いで家康の支配下に。天下人3人が関わる城は、犬山城だけだそうです。

3人は、なぜ犬山城を重要視したのか?
信長は、木曽川を挟んで尾張と美濃の国境に犬山城が立地し、美濃攻めの最前線だったこと。
秀吉は、木曽の山の木材に目を付け、木曽川沿いに立つ犬山城が、木材の運搬の管理に適していたこと。
家康は、おひざ元の名古屋城が、犬山城の南に位置して地理的につながること。

3者が天下統一を目指すためや政権を維持するためなど、それぞれの理由で、犬山城を重要視していて、特別な城だったことがよく分かりました。
続きを見る >>

NHKブラタモリ「皇居東御苑▼皇居のおかげで江戸城は守られた!?その秘密に迫る」

- 映画・テレビ鑑賞
番組HPより)
皇居東御苑に残る、江戸城の天守台や本丸跡・二の丸跡を歩き、“皇居ができたことで江戸城は守られた”という不思議な関係に迫ります!天守台が今も残る理由には、明治以降の意外な使われ方が関係していた!?東御苑で江戸城の姿を感じられる鍵は、昭和43年の「皇居東御苑の一般公開」ってどういうこと?さらなる秘密を探りに向かったのはGHQ本部があったビルに残るマッカーサーの執務室。タモリが激動の時代に思いをはせる!

---
皇居・東御苑を訪れ、旅のお題「皇居のおかげで江戸城は守られた!?」を解き明かした回です。

東御苑は、かつて江戸城の本丸・二の丸・三の丸があった場所で、江戸城の中心部だったということです。

今は、江戸城の天守台や家康時代の石垣が残り、美しい日本庭園が復元されたりして、昭和43年から一般公開されているそうです。

皇居の御所は、本来は、江戸城の中心だった東御苑にあるべきですが、
明治天皇が移り住むとき、幕末の火災で本丸御殿が全焼して失われていたため、別の場所になったということです。

そのおかげで、天守台などの江戸城の遺構が守られ、東御苑の一般公開を機に、石垣が修復されたり、庭園が復元されたりしたそうで、お題の意味するところがよく分かりました。
続きを見る >>

NHKブラタモリ「皇居・江戸城本丸跡▼徳川幕府が築いた天下泰平の秘密に迫る!」

- 映画・テレビ鑑賞
番組HPより)
ブラタモリがついに皇居へ!タモリが大名になった気分で、江戸城の記憶が残る道のりを歩き、本丸跡を目指します。かつての江戸城の正門・大手門をスタートし、城の中枢に向かうわずか500mの道のりに、徳川幕府・260年以上の平和を支えた秘密があった!?さらに広大な芝生広場になった江戸城本丸御殿跡や天守台にも手がかりが!皇居に残された江戸城の痕跡から、徳川幕府が築いた“天下泰平”の秘密を解き明かします。

---
皇居を訪れ、江戸城本丸にあった天下泰平の秘密を探った回です。

江戸にいた大名たちは、月に3回程度、本丸に登城する必要があったそうです。

タモリさんらも、大名の気分になって、実際の登城のルートをたどってみました。

すると、本丸に向かうまで、いくつもの門と見張りによるチェックシステムあり、段々とお伴の人数は減らされて、将軍に面会する時は殿様一人だけというルールになっていていて、これらには、大名たちに反抗する気力を失わせる徳川幕府の狙いがあったということです。

本丸御殿の大広間で将軍に面会したそうですが、畳が座席表になっていて座る位置で格付けされ、また将軍を直接見てはいけないなど礼儀作法があり、こうした厳しいルールによって徳川の権威を示したということです。

巨大な本丸御殿の中でも大きな面積を占めていた「大奥」も、将軍の世継ぎを代々つないでいくという重要な役割を果たし、天下泰平に寄与したそうで、非常によく考えられて本丸がつくられていることを知りました。
続きを見る >>

​NHKブラタモリ「桶狭間の戦い・信長の逆襲▼戦国史上最大の逆転劇!いよいよ完結」

- 映画・テレビ鑑賞
番組HPより)
なぜ織田信長は“桶狭間の戦い”に勝てたのか?今回は戦国史上最大の逆転劇に迫る完結編!今川軍約2万5千に対し、織田軍はわずか3千。絶体絶命の信長がはいかにして奇跡の勝利を手にしたのか?今川義元を討ち取るまでの進軍ルートを探る!なぜ敵から丸見えの危険地帯へ?信長が家臣に明かした真の狙いとは?敵に気づかれないよう最速で進軍できる秘密のルートを発見!突然の豪雨に今川軍は混乱…すべては信長の策略だった!?

---
旅のお題「なぜ織田信長は桶狭間の戦いに勝てたのか?」を解き明かした回の後編です。

前回、「駆けつけた信長は、なぜか低地にある中島砦に移動した」というところで終わりました。

今回、その謎を探っていくと、中島砦の周辺には道が集まっていて、交通の要衝だということが分かりました。

じつは信長は「今川義元が大高城に向かっている」という情報を事前に得て、今川義元本隊に近づくため、この砦に移動したと考えられるそうです。

そして、「義元は、おけはざま山で休憩している」という新たな情報から、大将の義元の首ひとつにかけて奇襲を試み、突然の激しい雨とひょうも味方して、義元を討ち取ったということです。

兵の数で勝る今川軍は、織田軍を圧倒していた状況だったことで、宴会をして気が緩んでいたことも敗因の要因とされるそうです。

専門家の話では、信長はわざと劣勢になって、相手を油断させる戦略だった可能性も考えられるそうで、わざと負けるのも策略だったとしたらと考えると、信長の怖さを感じました。
続きを見る >>

​NHKブラタモリ「桶狭間の戦い・信長の危機▼戦国史上最大の逆転劇!その謎に迫る」

- 映画・テレビ鑑賞
番組HPより)
若き日の織田信長が一躍全国に名をとどろかせた「桶狭間の戦い」。今川軍約2万5千に対し、織田軍はたったの3千。逆境の中、信長はいかにして奇跡の勝利をつかみ取ったのか?今回は住宅街に残るわずかな痕跡をたどりながら戦国史上最大の逆転劇に迫る!今川義元の尾張侵攻に対し、絶体絶命の信長がとった意外な行動とは…。なんと戦いの舞台はタモリが少年時代に姉と旅した思い出の場所だった?よみがえる記憶にタモリ大興奮

---
名古屋を訪れ、「桶狭間の戦い」で信長が逆転勝利した謎を解き明かした回です。

桶狭間の戦い当時の信長は、まだ駆け出しのルーキーで、兵の数は約3000。対する今川義元は、トップレベルの実力者で、兵は約2万5000。

その逆境で信長が勝利し、戦国最大の逆転劇と言えるそうで、信長がどのようにして勝利したかを解き明かしました。

まず、戦いはなぜ起きたか?
桶狭間の戦いの1年前、大高城と鳴海城の2つの城を今川に奪われた信長は、その城のそばに砦を幾つか築いて防衛線を張り、この状態で1年間にらみ合いが続いたそうです。

そして、今川が桶狭間の戦いの口火を切るのですが、わずか1日で決着したそうです。

戦いの日、両者がどのような行動を取ったか、現地を訪れながらたどって、興味深かったです。

戦いの際、駆け付けた信長は、危険そうな低地の「中島砦」に移るそうです。この砦が逆転のポイントだということですが、今回はここで終了。次回の続きも面白そうです。
続きを見る >>

NHKブラタモリ「東京・赤羽▼都内で大人気!せんべろの町・赤羽はどうできた?」

- 映画・テレビ鑑賞
番組HPより)
新宿まで電車で15分!都心へのアクセスも抜群の赤羽は、“千円でベロベロに酔える”=“せんべろ”の町としても大人気!そんな赤羽の町はどう発展したのか、その秘密に迫ります。

---
東京・赤羽を訪れ、旅のお題「せんべろの町・赤羽はどうできた?」を解き明かした回です。

赤羽駅の東側には居酒屋が密集し、リーズナブルにお酒が楽しめる町として人気で、どのようにしてにぎわう町になったのか、町の発展をたどりました。

西側は台地、東側は低地という地形で、この境に明治18年に品川と赤羽を結ぶ鉄道が通り、赤羽駅ができたことで、町が大きく発展していったそうです。

戦後、西側には軍の施設跡に巨大な団地ができて、人が増えていったそうです。そして東側は、空襲で大きな被害を受けますが、その跡に闇市ができ、そこから復興を願って商店街が生まれ、居酒屋が増えていったそうで、いろいろな出来事が重なって今のにぎわいにつながったことがよく分かりました。
続きを見る >>

NHKブラタモリ「琵琶湖クルーズ▼琵琶湖はなぜ日本一の湖であり続けられるのか?」

- 映画・テレビ鑑賞
番組HPより)
旅の舞台は、日本一大きな湖・琵琶湖。400万年前に誕生し、いまも巨大な姿を保ち続けている理由とは?東側に広がる肥沃な穀倉地帯と西側にそびえたつ山々を比較することで、琵琶湖が長生きな秘密を解き明かす!▼巨大な北湖誕生のカギを握っていたのは湖に浮かぶ小さな島!?湖底に広がる驚きの地形とは。さらに琵琶湖の未来の姿にまで迫る!?▼なぜ日本一の湖であり続けられるのか?タモリ大興奮のスペシャルクルーズで探る!

---
琵琶湖を船で南から北へ巡りながら、旅のお題「琵琶湖はなぜ日本一の湖であり続けられるのか?」を解き明かした回です。

ふつう湖は、だんだんと砂や土砂が流れ込んで、やがて埋まる運命にあるそうです。

ところが琵琶湖は、400万前に誕生した、世界でも有数の長生きな湖だということです。他の日本の湖でも、長くても20万年だそうで、琵琶湖がいかに長生きかがうかがえました。

琵琶湖の成り立ちを探っていくと、長生きの理由が分かりました。

実は、琵琶湖は最初は小さな湖で、三重県伊賀市の辺りにあり、長い年月をかけて、だんだんと移動してきたということです。

どうやって湖が移動したかというと、断層が関係しているそうです。
断層で沈み込んでできたくぼ地に湖の水が流れ込んで移動し、また近くに別の断層ができて水が流れ込んで移動し...と、断層のリレーによって移動を繰り返し、現在の姿になったそうです。

琵琶湖が今の形になって約40万年。なぜ土砂で埋まらないのか?

これも断層が関係していて、土砂は周辺の川から流入し続けていますが、断層により湖底が沈み込み続けているためだということです。
この土砂と断層の奇跡的なバランスにより、琵琶湖があり続けているとことがよく分かりました。
続きを見る >>

​NHKブラタモリ「川崎大師と鉄道▼川崎大師の人気と鉄道の意外な関係 初詣の謎も」

- 映画・テレビ鑑賞
番組HPより)
前回に引き続き、日本有数の初詣スポット、川崎大師の人気の秘密に迫ります。今回は明治時代、川崎大師参詣を目的につくられた鉄道のおかげで、川崎が大きく発展していった歴史を解き明かします。お正月の「初詣」の習慣と鉄道の意外な関係とは?京浜急行大師線に乗って、終点へ。昔の廃線跡にある工場に、タモリさん大興奮!さらに川崎大師の名物と、鉄道の意外な関係とは?

---
川崎大師と鉄道の関係を解き明かした回です。

明治時代、鉄道が誕生したことで、川崎大師の人気がさらに高まったということです。

鉄道ができたことで「初詣」という習慣と名前が、この頃、川崎大師を中心にできてきたと言われるそうです。

電車が通ることで、電気が必要になるため、火力発電所ができたそうです。さらに、この電気を利用して沿線に工場を誘致していったことで、京浜工業地帯へと発展していったということで、川崎大師の人気が日本の産業の発展に大きく影響したことを知りました。

最初に、川崎大師の名物「九寿餅(くずもち)」が紹介されましたが、この鉄道の話と最後につながっていて、名物になった理由がよく分かりました。
続きを見る >>

NHKブラタモリ「日本有数の初詣スポット川崎大師 その人気の秘密に迫る」

- 映画・テレビ鑑賞
番組HPより)
厄除けで有名な、神奈川県の川崎大師。お正月には、数多くの参拝客でにぎわう日本有数の初詣スポットです。その人気の秘密を、2回にわたってタモリさんが解き明かします。平安時代、漁師が海中で発見した“光るご本尊”の正体とは?江戸時代、徳川将軍の参拝をきっかけに厄除け人気が高まったって…一体どういう事?本堂から外に出ると、Uターンしている謎の参道…驚きの理由は、東海道と川崎宿にあった!?

---
神奈川県の川崎大師を訪れ、その人気の秘密を解き明かした回です。

初詣や厄除けで有名な川崎大師の正式名称は「平間寺(へいげんじ)」。
真言宗智山派の大本山で、平安時代から続くお寺だということです。

お寺のご本尊は、一般には仏様だそうですが、
川崎大師のご本尊は「弘法大師(空海)」をおまつりしていて、非常に珍しいということです。川崎大師と呼ばれるのもこのことに関係しているそうです。

人気が高まっていった理由には、幾つかの出来事が関係しているということで解説がありましたが、大きな理由として、東海道がそばを通っていて、川崎宿があったことだということです。

東海道からのアクセスが良く、泊まれる宿もあって、多くの人が参拝に訪れるようになったということでした。

次回も続きで人気の秘密を探っていくということで、面白そうです。
続きを見る >>