渡り鳥が不自由であることの証明

- 頭の体操クイズ~はじめてみました~

大人になって空を見上げなくなったと同時に、忘れてしまったことが私達にはある。

「鳥は自由に空を飛んでいる」

と言う、先生たちの啓蒙活動の果てに生まれた結論だ。

私達はそれを信じて、自分に哀愁を感じながら、ジレンマとも呼べるべき多くの課題を乗り越えてきた。

そして、大人になった私は思う。

「渡り鳥は不自由なのではないかと。」

私達は自由でありながらも絶え間ない欲望により不自由を強いられているのではないかと。

何もない空間を飛ぶことは自由だと思うけど、何もないから何も生まれないのではないのかと。

それは退屈の一歩であり、不自由を彷彿とさせる引き金になるのではないのかと。

飛べることは自由だけと、飛び続けることは不自由なのではないのかと。

そう思ったのである。

そんな私の左手にはファミチキが握られていた。

ただただ、見つめることしかできない私の手に、一滴の肉汁がこぼれてきた。

あちぃ!と思いながらも急いでティッシュを探す。

そして、ひと拭きで肉汁を払う手に、何とも言えない悔しさがこみ上げてきた。

結局は洗う羽目になるのだと。

そう思い、廊下を歩く無意識下の中で、この当たり前の行動に水を差すような言葉が浮かんできた。

「私は不自由なのではないかと。」

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