何かを始めようとした時に技術より必要なものとは・・・

- 閑話

おそらく、普通に大学を出て企業に就職して生きていくなら、友達や仲間がいらない生活というのも可能なのかもしれない。
 

でも、自分で新しい何かを始めようとした時、「いいね」を押してくれるだけじゃない友達・仲間が必要になってくると思う今日この頃。
 

誰もした事のない前代未聞な事を始めるなら、きっと、こんなことを考えなくても良かったのだと思う。でも、「流行」や「すでに行われている事」をやろうとした時は、長年続けていくとこの境地に辿りつくのだと思う。
 

なぜなら、大半の人は何かを始めようとした時に、情報収集を「インターネット」からしかしないからだ。結局、みんなが同じやり方で同じことをやってきた時、それは「奪い合い」であり「懸賞生活と一緒」であり、当たればラッキー、次当たるとは限らないのがセオリーだ
 

「安定した」とはほど遠い産物なのだ。
 

それに気づかず、ネットに散見する「都合の良い記事」に翻弄される人がだいたい失敗している。(1敗)
 

たしかに、何度も推敲を繰り返しながら作業をすれば、良いモノが生まれる可能性は非常に高い。しかし、それに需要があるのか、誰かに見てもらえるかは、その努力に比例しないのが難しい所。
 

頑張った分だけ結果が得られるのであれば、きっと、こんなに多くの人が苦しむことはなかったはず。
 

だからこそ、今この現代では、SNSが普及したように、「仲間」を集めて何かを始めていく必要があるのだと思う。
 

「いいね」を通り越した付き合いが自然とできる仲間とそんな仲間が集まる場所が必要なのだと思う。
 

論理的な努力とは、こう言う理想郷をどのように実現してくかにかかっているのかもしれない。
 

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