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番組HPより)
近藤勇の新選組誕生までの足跡を追う。多摩の農民出身の近藤は理想の武士像を心に抱き、士道を貫こうとした。近藤の生き方と幕末の「武士」とは何だったのかを徹底調査。
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“近藤勇の新選組”誕生までの歴史をたどった回です。
近藤は、もともとは多摩の農民出身で、幼少期は宮川勝五郎という名だったそうです。
その後、天然理心流の剣術道場を開いていた近藤周助の養子となり、剣術を学び、天然理心流の4代目となったということです。この頃、近藤に剣術を学んでいた中に、土方歳三がいたそうです。
30歳のとき、幕府が「浪士組」という組織を新たに作ることになり、これが大きな転機となったそうです。浪士組は京で将軍の警護をするもので、近藤たちは京に上り、それから、京の警備を担当していた会津藩のお預かりとなり、松平容保のもと、京の治安を守る活動を行っていたということです。
この時、「新選組」に名前を変えますが、トップである初代局長になったのは近藤ではなく、芹沢鴨だったそうです。
芹沢鴨は水戸藩の出で、身分が高いことからトップになりますが、ゆすりなど悪事を重ね、最終的に、近藤の指示のもと、芹沢は暗殺されたということです。
そして、近藤勇が局長の新選組が誕生。農民出身の近藤がどのようにして剣術を学び、新選組を率いるようになったかを知りました。