NHKブラタモリ「京都 国宝・三十三間堂SP▼超拡大版!なぜ800年守られた?」

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番組HPより)
旅の舞台は京都・三十三間堂。千体の観音像がズラリと並ぶ圧巻の寺は、仏像と本堂すべてが国宝!平安時代に創建され、約800年もの間、火災や地震、戦乱など数々の危機からどう守られたのか?観音像の耐震構造や、究極の地盤改良など、驚きの知恵と工夫に迫る。さらに秀吉の“京の大仏”が三十三間堂を守ることにつながったという意外な歴史も!?そしてタモリも言葉を失うほど美しい、夜空に輝く幻想的な観音像の姿を特別公開!

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京都を訪れ、旅のお題「国宝・三十三間堂はなぜ800年守られた?」を解き明かした回です。

正式名称は「蓮華王院」で、柱と柱の間が33あることから「三十三間堂」と呼ばれるそうです。

後白河法皇によって平安時代末期に創建されますが、火事で焼失し、鎌倉時代に再建されて、以来800年、地震や火災、戦乱など様々な危機に見舞われますが、それらを乗り越えて存続してきたということです。仏像と建物すべてが国宝だそうです。

危機を乗り越えることができた理由の一つが、耐震のしくみだということです。

お堂には千体もの観音立像が並びますが、仏像の中は空洞で軽く、重心が低いところにあるつくりのため、阪神大震災でも倒れなかったそうです。
また、敷地自体も、地盤沈下しないように、砂と粘土を重ね合わせて地盤改良が800年前にされていたということで、当時の知恵に感心しました。

三十三間堂が豊臣秀吉・徳川家康と意外な関係があったことも、守られた理由の一つだということです。
三十三間堂の近くには、かつて豊臣秀吉がつくった「京の大仏」があったそうですが、秀吉亡き後、五大老・家康が、三十三間堂と大仏殿を塀で囲って一つの寺にし、一体化されたことで資金に恵まれたということです。

800年の間に様々な危機があり、その時代その時代でお堂や仏像を守ろうとする人々によって危機を乗り越え、受け継がれてきたことがよく分かりました。
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