​NHK歴史探偵「秀吉のライバル 明智光秀」

- 映画・テレビ鑑賞
番組HPより)
本能寺の変後、光秀は天下を狙い12日間で緻密な戦略を展開していた。中国大返しで急接近する秀吉。天下分け目の天王山で繰り広げられた光秀と秀吉の戦いに迫る。

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本能寺の変における明智光秀の戦略に迫った回です。

本能寺の変の際、これまで光秀は本能寺で指揮をとったと考えられてきましたが、近年、光秀側の関係者に基づく資料が出てきて、そこには光秀は鳥羽(京都市南部)にいたと記され、事件のとき本能寺にいなかったという新しい説が出てきているそうです。

なぜ光秀は鳥羽にいたのか?
それは、仮に織田信長と長男・信忠を本能寺で仕留められず、本能寺から逃亡した場合に備えて、鳥羽で待ち構えていた可能性があるそうで、光秀の緻密な戦略がうかがえました。

結果的に、信長と信忠は本能寺で散り、間もなく、光秀は朝廷から次期天下人として認められたそうです。

ところが、豊臣秀吉が驚異的な速さで中国地方から戻って来た中国大返しは、光秀にとって想定外で、京都・山崎の「山崎の戦い」で秀吉に敗れ、12日間の天下で終わったということです。

最後に専門家の方は、「光秀の敗因は、さまざまな要因があるが、朝廷から次期天下人として認められ、京都を守らなければいけないとなったことが最大の敗因」だと考えるということでした。

秀吉軍を山崎で防いで京に入らせないという思いが光秀の戦略を狂わせることになり、そこにつけ込んだ秀吉のしたたかさを感じました。
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