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番組HPより)
幕末から明治にかけて活躍した天才発明家“からくり儀右衛門”こと田中久重。独創的なからくり人形で一躍有名になり、照明器具や機械時計など、日常を便利にする画期的な製品を次々に開発。ついには蒸気機関や電信機の国産化にも成功し、日本の近代化に大きく貢献した。磯田道史さんも絶賛する幕末の発明王・田中久重は、なぜイノベーションを次々と実現できたのか?人生を楽しみ切ったその生涯に、技術立国実現のヒントを探る!
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幕末から明治にかけて活躍した発明家・田中久重の生涯をたどった回です。
久重は、福岡・久留米で、べっこう細工職人の家に育ったそうです。
当時流行していた、からくり人形を見世物にしたからくり興行に、久重は心を奪われ、10代半ばには自ら製作して披露するようになり、いつしか“からくり儀右衛門”と呼ばれるように。
「茶汲み娘」「弓曳童子」「文字書き人形」など、独創的で精巧なからくり人形を作り、からくり興行師として全国を巡って有名になったそうです。
しかし、天保の大飢きんが起こり、祭りや見世物は自粛され、からくり興行を断念。
それから、京で「機巧堂(からくりどう)」を構え、生活用品の製作と販売を始めると、照明器具や機械時計など、画期的な発明品を次々と作り出したそうです。
その後も、50代で佐賀藩に誘われて国産の蒸気機関を開発、70代で東京で明治政府の依頼で電信機の国産化に成功し、日本の近代化に貢献したということです。
からくり人形に始まり、発明品を次々と開発したその原動力は、司会の磯田さんは、「道楽」にあると読み解いていました。
道楽というのは見返りを求めない遊びで、見返りを求めない遊びの中からいろいろなものが生まれてくるそうで、久重は楽しみながらものづくりを続けた人物でした。